どうして看護師に二つの免許資格ができたのか、その歴史をふり返ってみましょう。
第二次世界大戦前の日本の看護学校は、高等女学校卒業を入学資格とする少数のエリート校を除いて、大半は高等小学校卒業を入学資格としており、また独学でも検定試験に合格すれば資格がとれる道もありました。
専門職業とはほど遠く、見習看護師として医院や病院で住み込みで働きながら資格をとる時代だったのです。
なかには学校としての体裁は整えていても、その実習の内容はほとんど病院の診療や看護の手伝いであったりする状態でした。
免許資格に変革がもたらされたきっかけは、前にも述べましたように戦後のアメリカ占領軍による指導でした。
そして、アメリカの看護教育制度が日本にとり入れられたのです。
ですから保健婦助産婦看護師法が成立した昭和二三年前後は、看護師たちにとっても激動の時期でした。
以前から現場で働いていた看護師たちを、どのように新しい制度のなかに位置づけていくかが問題になりました。
甲種看護師と乙種看護師に区別された時期もありました。
高校卒業後三年間を基本とする看護教育制度を実施するとき、当時の高校進学率はまだ低く、新しい看護師を養成する人数にも限界がありました。
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