戦時下の看護

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昭和になると、日本の資本主義はファシズムの様相を示します。

それとともに軍国主義はますます盛んになります。

一九二九年(昭和四年)、ニューヨークのウォール街に始まった世界恐慌は、まだ底の浅い日本の資本主義経済をも根底から揺さぶりました。

日本中に倒産、失業、飢え、病気、犯罪があふれました。

おまけに農村では、かつてないほどの農業恐慌に見舞われていたのです。

飢謹もあいつぎ、夜逃げ、一家心中、娘の身売り、嬰児殺し、......などがあとをたたないありさまだったのです。

一九三一年(昭和六年)、満州事変。

一九三七年(昭和一二年)には、日中戦争。

日本は進出の手を際限なく広げていき、やがて世界的な全面戦争、太平洋戦争の泥沼へ入っていきます。

国民の生活は、教育、文化、情報、生産、暮らしやファッションにいたるまで、あらゆ

ることが軍国主義に歩調を合わされました。

医療や看護とて、例外ではありません。

日赤病院はもちろんのこと、現在の国立病院などのほとんども、その前身は国民の健康のための施設というより、陸軍や海軍の病院でした。