軍国主義下の看護

  • 投稿日:
  • by
  • カテゴリ:
戦中は大量の兵隊を送り出そうにも、農村青年の体位や健康状態が悪く、結核や性病などが蔓延していました。

乳児死亡率の高さも深刻でした。

かんじんの兵隊が病弱でやせ細っていては、いくさになりません。

そこで政府は「健兵健民政策」をスローガンに掲げ、強健な兵力を確保するため、一九三七年(昭和一二年)にいまの厚生省を発足させました。

無医村が多かった各地方に保健婦制度をしいたのも、その一環でした。

「産めよ、増やせよ」と、出産が奨励されたのもそれからです。

一九二九年(昭和四年)につくられた看護師の職能団体である「日本看護協会」も、満州事変の翌年には「日本帝国看護師協会」と名前を変え、軍国主義への忠節を強要されました。

世はあげて軍国主義時代、当時の少年少女は、男の子は「早く軍人になって手柄を立てたい」といい、女の子は「大きくなったら赤十字の看護師さんになりたい」と、あこがれをこめていうのが普通でした。

まさに救護看護師は、女性の軍人そのものだったのです。