戦後の「保健婦・助産婦・看護師法」

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日中戦争から太平洋戦争終了まで、毎年二万人を超える従軍看護師が出征し、日赤の看護師だけでも一〇〇〇人以上が"戦死"したといいます。

若いみなさんには想像もつかないことかもしれません。

本当に戦前の日本はこんなふうだったのです。

それは、決して遠い昔の出来事ではなく、わずか70年前までのわが国の、実際の姿だったのです。

一九四五年(昭和二〇年)、日本は無条件降伏しました。

日本の社会が大混乱に陥ったことはいうまでもありません。

大都市は焼け野原となり、失業者があふれかえりました。

ほとんどの国民が栄養失調になり、伝染病が蔓延しました。

一九四六年に公布された新憲法と翌四七年(昭和二二年)に成立した「労働基準法」は、まさに画期的なものでした。

医療や福祉の分野でも、いち早く日赤や国立病院の医師や看護師たちが労働組合を結成し、民主化を目ざした運動が始まりました。

看護師の強い息吹に押されて一九四八年(昭和二三年)に「保健婦・助産婦・看護師法」が公布されました。

それは日本の看護師の制度を根本から変えるものでした。