日本の看護の歴史は西洋とはかなり異なっています。
仏教の歴史は長きにわたってあるものの、西洋のような形での看護活動は生まれず、その発展形態としての病院も出現しませんでした。
また、近世に医師の開業が先行したことも、看護の必要性が生まれにくい一因となりました。
日本で職業としての看護が始まったのは、19世紀後半、明治時代に入ってからのことでした。
文明開化による欧米諸国との往来、交流の中で、西洋の看護や看護師教育の事情が、日本の識者や学者に少しずつ知られるようになりました。
こうした動きを受けて、1885年(明治18年)、わが国初の看護師養成所として、有志共立東京病院看護師養成所(のちの東京慈恵会医科大学付属看護師養成所)が誕生します。
さらに翌年には、ミッション系の教育機関である桜井女学校や同志社にも、看護師の養成所が設立されました。
これら民間の動きに続く形で、1890年(明治23年)、日本赤十字社が看護師養成所を設立しました。
以後、各地で看護師養成所の設立は急速に広がりましたが、なかには教育内容が貧弱な施設も少なくありませんでした。
やがてわが国は「富国強兵」のかけ声とともに、日清戦争、日露戦争を経て、第一次世界大戦、第二次世界大戦と、戦争の時代が続きます。