ドイツのフリードナー牧師が創立したディアコネス学園が、新しい看護師を計画的に訓練し、教える正規の教育施設のさきがけとなりました。
この有名な学園で、ナイチンゲールは看護を学んだのです。
それから、イギリスの聖トマス病院に看護師学校が設立されました。
それ以来、看護学校の数は増加の一途をたどります。
今世紀に入ると、さらに大学や大学院においても、看護の教育課程が設けられるようになってきました。
特にアメリカでは、社会全般が開放的で、分業方式の導入が進み、そのことが看護の専門職化をおし進める大きな力となりました。
1909年に、ミネソタ大学に大学教育としてはじめての看護学校ができました。
そして1920年までに、180校の大学系の看護学校が開設されました。
さらに1938年までには、48の総合大学で看護課程がとり入れられました。
第二次世界大戦後は、看護教育課程のなかでも短期大学と短大レベルのコミュニティ・カレッジがめざましく発展しました。
どちらも、その施設数と学生数は増加の一途をたどったのです。
それに対して、第二次世界大戦前には看護師養成の主流であった病院付属の看護学校の数は、いちじるしい滅少傾向にあります。
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