戦後、ドイツの看護教育は「養成所」から脱皮し、一般教育体系のなかに吸収されました。
高水準の教育がすすめられて、1970年代には学士課程が258校、修士課程が69校、博士課程9校にのぼりました。
そして博士号を持つ看護師も、現在では1000人をはるかに上まわってきました。
このように看護の指導者層は、他の分野と同様に高学歴化の傾向が強まったのです。
一方、日本では、職業的看護がはじまるのは明治時代に入ってからです。
明治10年代に行われたナイチンゲールの流れをくむ比較的高いレベルの教育は、個々の病院での自前の看護師養成にとどまっていて、日本の社会体制のなかでは発展しなかったようです。
日本の看護教育史上、明治20年にはじまった日本赤十字社による看護師養成の動きは特記すべきものでしょう。
政府の富国強兵の方針から、軍隊での従軍看護師の必要性もありました。
日赤の「博愛精神」が強調されて、看護師養成は軌道にのったのです。
しかし、国家的に身分を保障する制度として看護師規則ができたのは大正四年で、教育期間も二年間あるいは一年間のものでした。
看護師になる最低年齢は18歳とされました。
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