「看護」の歴史を開拓したナイチンゲール

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ヨーロッパでは、中世までの看護という仕事は、主として僧侶や尼僧によって、キリストの愛をこの世で実践する証として行われていたといえます。

近代になり、宗教的な看護だけでは不十分な面が出てきました。

それは医学の発達とともに、それにともなった医療技術が行われる必要が出てきたからです。

こんな時代を背景にナイチンゲールが登場します。

イギリスの名門の娘であるフローレンス・ナイチンゲールは1820年に生まれました。

裕福な家庭の娘が職業を持っなど、もってのほか、という時代の話です。

しかし、彼女は家族の猛反対を押し切って、看護婦になりたいという意志を貫き通したのです。

看護婦になったナイチンゲールは、ヨーロッパの国々の看護を実際に実習したり、様々な看護事業を学びます。

それらの経験を土台に、ロンドンのハーレー街で、看護事業を始めました。

彼女の念願は、近代看護のあり方を考えることでした。

1854年、トルコに宣戦したロシアに対し、イギリスとフランスが宣戦を布告し、クリミア戦争が始まりました。

1856年、パリ条約でクリミア戦争が停戦するまで、ナイチンゲールと看護団は敵味方の区別なく献身的な看護活動を行って、多くの兵士たちの生命を救い、看護婦の名を世界に知らしめました。