「クリミアの天使」と呼ばれたナイチンゲール。
イギリスの人々は、ナイチンゲールのこの功労に対し、当時の金で5万ポンドという巨額の募金を集めて贈りました。
彼女はこの資金で、近代的な看護教育を始めようと考え、ドイツで受けた看護教育とその後の実践をもとに、聖トマス病院の中に「ナイチンゲール看護婦訓練学校」を創設しました。
1860年5月のことでした。
ナイチンゲールは、それまでの信仰・思想をよりどころとしていた看護の仕事を、教会や宗教から解き放ち、科学的な裏付けをもとにした看護医療の高い技術をそなえた専門的職業として確立させました。
いいかえれば、近代的な看護師という専門的職業としての社会的地位を打ち立てた人だったのです。
看護の仕事を病人や貧しい人に恵みを施すという、たんなる奉仕活動にとどめず、職業として独立させたのです。
また、看護教育についても医師や牧師の支配から脱し、徒弟的な見習い制度をあらためて、系統的な学校教育の基礎をつくりました。
ナイチンゲールは、それまでの中世・近世の看護とは一線を画し、看護とは何か、基本的な考え方を打ち出したのです。