ナイチンゲールは今日ではごく当然と考えられている、「清潔」「栄養」「食事」「換気」などの基本要素、その必要性を科学的に裏付け、医療として実践に結びつけたのです。
彼女によってはじめて、看護に近代科学の視点がもちこまれました。
現在では常識となっているナイチンゲールの考え方ですが、当時の人々にとっては驚くべき大胆な意見でした。
クリミア戦争の反省をもとにした、予防医学の重要さを訴えた報告書も、当時の医療関係者や軍にとっては革命的すぎるほどで、かなりの反対を受けることになります。
そして、彼女の主張の正しさは、改革案が実践され、死亡率が格段に低くなったという結果において実証されるまで待たれることになります。
ナイチンゲールは病床にありながら、70歳頃まで看護や衛生などに関する仕事を力いっぱい続け、90歳で亡くなりました。
ナイチンゲールの著作に『看護覚え書』があります。
一方、日本では、看護婦の絶対的不足による混乱を避ける目的で、1951[昭和26」年、准看護婦制度が導入されました。
最近では、量の確保だけでなく質の向上を求めて、大学課程での看護教育も増えてきています。
また、最近では男性の看護師も珍しくなくなり、呼び名も看護婦(女性)・看護士(男性)と、性別で分けるのをやめて「看護師」で統一されました。