なぜナイチンゲールが「看護師の元祖」なのか

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クリミアの野戦病院に急行した看護団一行は、傷病兵の看護に全力を投入し、高かった戦場での死亡率を激減させるなどの成果を上げました。

1856年3月、パリ条約でクリミア戦争が停戦するまで、ナイチンゲールと看護団は、献身的な救護を続け、このため「クリミアの天使」と呼ばれるようになったのです。

イギリスの人々は、ナイチンゲールのこの功労に対し、当時の金で約五万ポンドという巨額の募金を集めて贈りました。

彼女はこの資金で、近代的な看護教育を始めようと考え、聖トマス病院の中に「ナイチンゲール看護学校」を創設しました。

1860年5月のことでした。

これが、教会や宗教団体から独立した近代的な看護師教育の始まりでした。

彼女はさらに、当時のイギリスの貧しい労働者階級の健康状態に対応するため、特別に訓練された看護師を養成することが急務だと考えたようです。

そこで、そのための看護師養成所をリバプール病院につくりました。

そればかりか、1863年には、施設や工場、家庭への「巡回看護師」の養成にも取り組んでいます。

ナイチンゲールは、それまで男性がやっていた看護人の仕事を、女性にふさわしい仕事として公認させたといえます。

また、看護の仕事を教会や宗教から解き放ち、専門的な高い技術をそなえた職業として確立させたのでした。