仏教が日本に伝えられたのは、「日本書紀」によると五五二年の秋、百済国王がシャカの教えを説いた経典を送ってきたときに始まったと書かれています。
仏教の伝来とともに、大陸の文化が堰の切れた大河のように、朝鮮半島をへてわが国に
入ってきました。
仏教の教えでは、病人の看護はもっとも聖なる行いとされていました。
聖徳太子をはじめとする熱心な仏教信者の手で、この時代の医療や看護は展開されました。
聖徳太子が四天王寺の中に施薬院、療病院、悲田院、敬田院の四院を設けたことはみなさんも歴史の授業で学ばれたことと思います。
「施薬院」というのは、薬草を栽培して薬剤をつくり、諸人に無料で薬を与えたところとあります。
「療病院」は身寄りのない病人を収容し、治療する施設だったようです。
また、「悲田院」はいまの老人ホームと孤児院を一つにしたような施設で、この三つの施設は困窮者や病人のための施設だったようです。
「敬田院」は、すべての人々の精神的救済をする説法のための施設でした。
そして、この時代に、僧であるとともに医を職とする僧医や、病人の看護を行う看病僧も現われました。