西暦718年ごろ、わが国初めての医事制度が定められました。
「大宝律令」をもとに定められた「養老律令」の中に、今日の医事制度に相当する「医疾令」二七か条があります。
この制度を見ると、当時の医療が国営であったことがわかります。
医師は一定の学業を終えたあと、国家試験を受けて認定された者がなったとあります。
医師は国家から俸給を受ける官史で、患者からはいっさい治療費は取りませんでした。
「医疾令」の中には、看護についても大変興味深い記述があります。
八〇歳以上の者と重症患者には、身分にかかわらず、近親者の中から一人の看護人を付けなければならないとあります。
さらに、「看護を怠ると罰せられた」と書かれているのです。
これは、当時の為政者が仏教を深く信じ、仏教の慈悲の精神と儒教の仁愛の精神をもって、より理想的な諸制度を定めたのかもしれません。
この制度がどこまで実行性のあったものかは大いに疑問です。
そして、一般の庶民がこれで十分な医療と看護を受けていたとも思えません。
しかし、いまから一二〇〇年もの昔、奈良時代に定められた「医疾令」は、文明や科学が進歩した今日を生きる私たちに多くのことを教えてくれていると思います。