医療や看護は貴族だけのものだった

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奈良時代に定められた「医疾令」は、医療や看護が、だれのために、何のためにあるのかを明解に差し示しています。

七九四年、桓武天皇が都を京都に定めてから、源頼朝が鎌倉に幕府を開くまでの四〇〇年が平安時代ですね。

平安時代の前半は、世の中は平穏で文化も栄えました。

仏教も空海や最澄によって日本独自のものが生まれ始めました。

しかし、これらの宗派は、祈濤や呪いを取り入れたため、人々は迷信を重んじ、病気になると祈濤やお経に頼るようになりました。

平安時代の代表的な文学作品の『源氏物語』や『栄花物語』の中にも、「たたり」「物の怪」を恐れ、加持祈濤が行われていた様子が随所に描かれています。

平安時代には、疫病やたびかさなる水害、飢謹のため、人々は神仏に頼るほかに術がなかったのかもしれません。

医療は不完全ながらも国営が原則だったとありますが、実際には一部の貴族だけのもので、病人や老人を路傍に捨てたり、死体を放置するなどの悲惨な状態であったことがさまざまな記録に残されています。

長野の姥捨て山も、そのような歴史の一部なのかも知れません。