戦後時代と江戸時代の看護師

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鎌倉時代後期から室町時代にかけての戦乱の時代には、武士や民間人の中から戦傷治療を行う今日の外科医にあたる「金創医」が誕生しました。

すでに医療が仏教から離れ、独自の歩みを始める兆しが見えていますね。

桃山時代になると、医学は仏教との関係をたって、学問として急速な発展をとげます。

一五四三年、種子島にポルトガルの商船が漂着し、鉄砲が伝えられました。

それまで外国との交流といえば中国・朝鮮が主だったわが国に、突然、キリスト教や西洋の文化が怒涛の勢いで入ってきました。

キリスト教と西洋医学の伝来は、わが国の医学を独自の学問として確立するうえで大きな影響を及ぼしました。

江戸幕府はキリスト教を厳しく禁止し、やがて、鎖国の道をたどることになってしまいます。

しかし、わずかにオランダとの通商は許され、西洋医学も「蘭学」として伝え続けられたのです。

仏教と離れた江戸時代の看護は・家庭看護にもどり・肉親や和蹴・女中などの瑠駕躍が行うようになりました。

医学とは異なり、近代看護の誕生は、いま少し時を要し、この点は、ヨーロッパの同時代の看護の歩みとも大きな差のあるところです。