戦争とととに発展した医療と看護

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明治時代の軍の病院では、いきおい、「ばくれん」と呼ばれた社会的に身分の低い女性なども多く集められました。

「ばくれん」とは、莫連と書き、「すれっからし」「素行の悪い女」「あばずれ女」といった意味です。

だから、初めは、特別の教育を受け、専門的技術と教養を身につけた近代的な看護とは、ほど遠いものだったかもしれません。

これが、日本最初の職業的看護の始まりでした。

明治政府は、欧米の文明を取り入れて、大急ぎで近代化をはかろうと、列強諸国を真似します。

一八七二年(明治五年)には「富国強兵」と「殖産囲ハ業」をスローガンに掲げ、徴兵制もしかれました。

強力な軍隊をつくって、欧米列強なみの近代国家にしようと急いだのです。

一八七三年(明治六年)には、地租改正条令を布告し、近代的な地租制度を確立します

が、その実態は従来の苛酷な封建地租を、そのまま国家に徴収しただけのものでした。

これを財政的基盤にして、強力な軍事官僚組織がつくられました。

政府の強い庇護のもとに産業資本も育成され、みるみる巨大化していきます。

農民や労働者は貧困のどん底。

庶民の暮らしは目をおおうばかりだったといいます。