「博愛社」(日本赤十字社)の誕生

  • 投稿日:
  • by
  • カテゴリ:

明治時代の日本では、農村から若い男女の労働力は工場へ吸収され、二〇歳を迎えた若者は、いやおうなく軍隊へ徴兵されたのですから、ごく一部の地主を除く農家の疲弊はひどくなるばかりでした。

いくさをするには、兵隊はもちろんですが、たくさんの医者と看護師が必要です。

一八七四年(明治七年)、新しい医制や医学校がつくられ、医師が養成されました。

しかし、看護師の養成学校は、まだありませんでした。


西郷隆盛らが政府軍と戦った西南戦争で、双方から大量の死傷者が出たのが一八七七年

(明治一〇年)のことでした。

このとき、万国赤十字社にならって、「博愛社」がつくられ、傷病兵の治療が行われました。

これがのちの日本赤十字社です。

一八八六年(明治一九年)、東京の陸軍省用地に「博愛会病院」が建てられます。

これは看護師の養成と傷病兵の収容を目的につくられた病院です。

博愛社はこの年、赤十字条約に加盟し、翌年には「日本赤十字社」と改名しました。

しかし、日本赤十字社は、西洋の赤十字の博愛慈善団体の性格とは異なり、誕生の動機、目的から一貫して戦争推進と表裏一体の関係で発展してきました。