日本赤十字病院に、看護師養成所が正式に発足したのは一八九〇年(明治二三年)のことでした。
日本でいち早く、まともな看護師の養成が始められたのは、日赤病院ではありませんでした。
まず一八八四年(明治一七年)、有志共立東京病院(慈恵病院)が二年制の「看護師養成所」をつくりました。
さらに、一八八六年(明治一九年)、京都の同志社に新島裏がキリスト教精神にもとつく、やはり二年制の「京都看護師学校」を、また東京の桜井女学校が「付属看護師養成所」をつくりました。
一八八八年(明治一二年)には、帝国大学医科大学(東大医学部)に「付属看護病法講習科」という名の養成所ができました。
これらは、あとでつくられた日赤病院看護師養成所の"報国憎兵"(お金や品物、人を送って戦地の兵士を励ますこと)の精神とは、まったく異なる性格も持っていました。
いずれも、欧米の看護師養成を模倣したものでしたが、とくに、初めのころは外国人の指導者が招かれました。
でも、それだけに、生徒の数は少なかったとはいえ、教育内容の質やレベルは高く、それまでの専門的教育を受けていなかった看護師のそれとは雲泥の差がありました。
当時としては、きっと近代的な職業婦人の超エリートだったでしょうね。
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