家庭看護のための「派出看護師」

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「慈恵病院」では、上流階級やお金持ちの要求にそって、それらの家庭看護のための「派出看護師」養成に力が入れられたようです。
それだけに、看護だけでなく、身だしなみや礼儀作法、教養などにも心が配られたといいます。

医師の養成に力点を置いた「帝大(東大)病院」では、看護の主要な性格を"医師の治療の介助"に限定し、人間関係にまで従属関係を持ち込んだ面が強かったようです。

かたや、キリスト教の影響が強い学校である「桜井」と「同志社」の看護師養成は、いわゆる"ナイチンゲール精神"を重視したようです。

つまり、看護師はどこまでも看護師であり、医師でもなければ、その助手でもない。

看護は、治療と別の独立した分野であり、看護師は、社会的にも精神的にも経済的にも独立したものであるべきだとする近代的なものを指向していたように思います。

実際、その卒業生たちの活躍も意欲的です。

軍部、富豪や官学の権威主義の強かった当時の風潮の中にあって、人間愛に根ざし、貧者や病者に積極的に一歩でも近づこうとした姿勢がうかがえます。

しかし残念ながら、それは当時の日本には、なかなか根づかなかったようです。

このあたりの事情は、土曜会歴史部会著『日本近代看護の夜明け』《医学書院刊》が詳しく記述しています。