戦前の女性の働く職場は、六割以上が農業でした。
あとは、女中、子守、髪結い、女給、女教師、女優、看護師、電話交換手など、ごくかぎられた職種にすぎませんでした。
当時の価値観では、女性が外で働くなどというのは、農業に従事する以上に、貧乏人のする、卑しいことだと考えるような世相だったのです。
満州事変以来、一五年にもわたる悲惨な戦争が終わり、わが国の女性の働く場にも、大きな変化が現われました。
敗戦から五年後の一九五〇年(昭和二五年)の農業に従事していた女性は八五〇万人です。
それが、高度成長後のオイル・ショック直後の一九七五年(昭和五〇年)には三五七万人、じつに五〇〇万人もへっています。
高度経済成長期は、いわば農家の若手労働力が、一斉に都市へ流出していく過程でした。
産業構造の比重は、第一次産業(農業・漁業)から第二次(製造業)、第三次(サービス業)へと変わっていきました。
製造業では、かつて"女工"と呼ばれた女性の職場であった繊維部門が減少し、化学・電機・機械・金属などの重化学工業分野が拡大していきました。
農村から、大量の中学・高校卒業者が"金の卵"ともてはやされ、電機産業や重化学工業などの工場へ"集団就職"したのもこのころです。